紀州高下水産~Takasui Retail Store~
にお越しいただきまして誠にありがとうございます。
初めまして。ひもの屋紀州高下水産 三代目 高下昭人です。
当店にお越し下さったあなたに是非、僕たちの干物への思いを聞いていただきたいと思っております。貴重なお時間を頂戴しますが、どうかお付き合いよろしく願います。。。
紀州高下水産の創業は僕の祖父が始めた干物専門店で、僕の親父が二代目、僕が三代目と受け継いでおります。
祖父の父、僕からすると曾爺ちゃんは鮮魚仲買をしており、水産業を始めてからでは僕で四代目になります。“魚一筋”四代続けております、いわゆる魚バカですね(笑)
祖父は僕が生まれるた前の年に56歳で他界しました。
僕は祖父に一度も会ったことがありません。
ですので、祖父のことはいつも祖母が話をしてくれます。
「おじいちゃんはとにかく仕事人間で魚の事しか考えてなかったわ~。
仕事が趣味の人やったわ。
わたしも仕事中はよぅ怒鳴られた‼ほんで仕事終わったら何事もなかったかのようにヘラヘラと話しかけてきてな~。今思い出しても腹立ってくるわ~(笑)」
と何回も話してくれます。
若くして商売を始めたせいか、市場や漁港で当初は魚を分けてもらえなかったりと一部の先輩方に除け者扱いされていたそうです。
気が荒い祖父はそれに突っかかっていき毎朝シャツはビリビリで血まみれで市場から帰ってきてたそうです(笑)(今の時代ではありえませんよ。。。汗)
仕入れも豪快で船を一隻買いもしょっちゅうで。。。
仕入先の会社が相場より高い魚を余らせて困っていたりするとそれを買い付けしてあげたりしてたみたいです。
祖母は祖父に生まれた僕を見せてあげたかったとよく言ってくれます。
僕も話を聞くたび不可能ですが、会ってみたいと思ってしまいます。。。
そんな祖父から親父が受け継ぎ、現在は僕が三代目として受け継いでいます。
僕は小学校3年生から野球を始め大学卒業まで続けさせてもらいました。
もちろんプロ野球選手を夢見て練習に励んでいました。勉強もせず。。。
プロ野球選手の夢を諦めたのは大学に入ってからで、レベルの高さに驚き、「このレベルでもプロじゃないんや。。。」と思って諦めてしまいました。
卒業後は地元にある会社の水産部に就職し働き始めました。
毎日遊ぶことばかり考えて、大して魚にも興味を持たず、。
ただ毎日決まった仕事をしているだけでした。
3年間働いた後、25歳の時に会社を辞め家業を継ぎ始めたのですが、
継ぐと決めた理由は、『もっと自由な時間が欲しい!!』と思い会社を辞めました。
典型的な甘ったるい考えの若造です。25歳の自分に説教してやりたいです!!(恥)
しかしその甘い考え方一瞬にして消えてしまったです。
その頃の実家は業績がどん底で、親父も精神的に参ってしまい、従業員は一人もおらず・・・。
製造しているのは母親と祖母の二人。自分の給料も出ないくらいでした。
実家がどんな状態かも知らずに会社を辞めて継ぐぐらい僕はアホだったんですよ(笑)
「このままやと、実家も自分もヤバいな。。」と思い、。
それからがむしゃらに仕事に打ち込み始めました。
そんな中、ある時「自分が作っている干物は食べるけど、他社の干物食べたことないなぁ」と思い
色々なところの干物を取り寄せて食べてみました。
これが僕の干物への興味を強くさせました。
干物は作り手が違うと味も全く違う、塩加減や匂い、風味やコクなど。。。
それを感じた瞬間急にワクワクしてきてもっと知りたいという感情が出てきました。。
それから僕は、図々しくも幾つもの干物屋さんに頼み、工場を見せてもらったり、交流を持たせてもらい、こだわりなどを聞かせてもらった。
もちろん僕のこだわりも話した。こんな若造のこだわりも皆聞いてくれた。。。(笑)
これは僕にとって、見ること、聞くこと、仕事(干物)への姿勢、全部がものすごく勉強になった。
どの造り手さんも独自のこだわりがあり、自分の干物を食べてもらいたいという情熱や、お客様への真心が伝わってきた。
『干物は奥が深い。。。。』調べれば調べるほど、わからなくなる。。。
それくらい奥が深いと思う。
考えて、答えが出て、また考えて、、、、答えが出て、の研究の繰り返しで旨くなっていくものだと思っています。
僕が目指す干物は『食べる度に旨くなってるよ!!』と言われる干物を造っていくことです。
干物を食べてお客様が笑顔になり、魚好きが増えるように、これかも情熱・真心を込めて干物造りに励みます!!